エイダは制作中盤まで「王の願い」というタイトルであり、ここで描かれるエイダはまさしく悪王に他なりませんでした。今回はそのエイダがどうしてあのような善王として描かれたのかの裏話をしたいと思います。


きっかけは、友達の何気ないツイートでした。その内容はよく見るような何気ない感想ツイートであり「あるマダミスをした体験が素晴らしくとても感動した」というものです。そして彼は、その感情をこのように表現していました。「記憶を消して、もう一度遊びたい」と。当時の私には新鮮な文言でしたが、今となればよく見かける言葉かと思います。


私がこの表現を聞いたときの印象としては、至上の褒め言葉であると感じると同時に少し思うことがありました。それは、記憶を消したとして、もう一度この作品を同じくらい楽しめるのかということです。私はゲームの体験価値の主軸になるのは、一緒に遊ぶプレイヤーだと考えています。これはマーダーミステリーというゲーム形態がゲーム性とロールプレイ性を兼ね備えているからこそ、さらに強く働く性質だと考えています。そのため、記憶を消したあともう一度シナリオをプレイしたとき、囲む人間が異なれば、記憶を消す前よりも体験価値は大きく下がる可能性もあります。だからこそ、そのシナリオを楽しめたときは同じ卓を囲んだ人間に心から感謝し、その記憶をずっと保管しておくことが大事だと個人としては考えています。


もちろん今では「記憶を消して、もう一度遊びたい」というのはそれほどの意味を含蓄しているわけではなく、単なる褒め言葉だとは分かっています。ただ、エイダのコンセプトの出発点はそこにありました。プレイヤーが記憶をずっと保管しておきたいと考える作品は、どのような作品なのかを考えるきっかけになったのです。当時リリー・フローラのメモリーアウトは記憶の消去を行い、議論の混乱を生じさせるためだけの推理上の要素だったのでした。しかしこの発想を元にして、ストーリーを大きく変容させることにしました。具体的には、第二部を追加し、ホームページ上のバグを感じさせる演出などを盛り込み、そしてエイダのハンドアウトを加えたことがそれに当たります。


エンディング後、メモリーアウトを使用したことで王たちは記憶を失い、プレイヤー達のみがその名前を知ることとなります。したがって、記憶をずっと保管しておきたいという気持ちになるよう誘導したいと考えました。だからこそタイトルは短く、覚えておいて欲しい唯一の事柄に絞り、「エイダ」に変更することとなります。タイトルを短くしたせいでサーチに引っかからなくなり、作品のマーケティングとしてはデメリットかもしれませんが、筆者の気持ちとしては後悔はありません。結果として多くのプレイヤー様に遊んでいただけたので、非常に嬉しい限りです。


ちなみに念のためにいうと「記憶を消して、もう一度遊びたい」という言葉自体を嫌っているわけではなく、見かけると普通に嬉しいです。ただ時折、エイダの着想の出発点がそこだったなと思い出され、含み笑いをしてしまいます。「エイダ」とは何者だったのか、プレイして楽しんでくださった方は、これからもずっと記憶の中に残してくれると嬉しいです。長くなりましたが、ここまで読んでいただきまして誠にありがとうございます。






ディアージュの石碑〜オウル・ペルペコネの「群れと屍」〜

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エイダEPシナリオ

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