苦しみで顔を歪めた女性が、木でできた椅子に座っている。彼女の首には縄がかかっており、その縄は何者かにより引かれ、彼女は呻き声をあげる。意図的に縄は緩められているのか、彼女が即死することは無い。恨みを持った誰かが、彼女を拷問にかけているのだろうか。

 彼女は目を見開いて、こちらを見ている。そして彼女が何かを呟こうとした時、私の意識は宙に浮かび、そしてよく知る我が家の天井が見えた。





 私、屋久島杏(やくしまあんず)は最悪の目覚めを迎えた。昨日も一昨日も最悪だと思っていたが、今日こそが最悪中の最悪の悪夢だっただった。鏡を見ると目の下には(くま)ができており、顔色はとても良いとは言えない。睡眠時間は十分とったはずだが、おそらくその質が良くなかったのだろう。

 最近は快適な眠りのために、あらゆることを試している。友人からもらったキンモクセイのアロマディヒューザーを炊き、使い捨ての柚子の香りのホットアイマスクを着け、動画サイトで【小鳥のさえずる森の睡眠用BGM】を流してベッドに横たわる。

 寝入りはいいものの、いつも悪夢で目を覚めることになる。それもこれもあの「呪いの動画」を見たせいだろうか。

 二週間前、私はベッドに入りながらSNSのタイムラインを眺めていた。興味が湧いたのは、「可愛い動物まとめbot」というアカウントの投稿だ。ルンバの上に猫が乗るという、ごく普通の癒し動画。URLをクリックすると、いつも良く使用している動画サイトへ飛ばされた。

 タイトルは「ルンバ猫♩」という直球なタイトル。直球すぎるが、犬よりも猫派をゆく私にとっては十分な釣り針だった。動画時間はわずか三〇秒程度であり、なぜか限定公開リンクになっていた。十五秒程度の広告再生を眺めつつ、ぼんやりと明日の用事を思い出していた。

 そして気づけば、動画が再生される。そこには、ネコもルンバもいなかった。ロープに棒人形が吊る下げられており、左右にぶらぶらと揺れている。

 ぼーっとそのまま画面を眺めていたその時だった。いきなり顔の青い男性のドアップが映し出され、叫び声が響き渡る。私は驚きで飛び上がり、そのままスマホを落としてしまった。叫び声が止まり、動画が終わったと思い、震える手でスマホを拾い上げる。すると、画面に表示されていたのは、とても気持ち悪い言葉だった。


ずっとちかくで、よろしくね




 怖くて、気味が悪くて、私は視聴履歴ごと消し去った。

 この動画は、初めは一時期流行った精神的ブラクラと呼ばれるものだったと思っていた。画面に注視させ、意識が集中した段階でグロテスクな画像やホラー画像を表示させる。動画なら大音量の叫び声や呻き声を付与し、視聴者を驚かせる。いわゆる、イタズラ目的だ。

 しかし、それが「呪いの動画」だと知ったのはつい最近だ。動画で見た内容をもとに検索し、行き着いたページに書いてあった。

 私は呪いなんて信じてはいなかったが、呪いに似た効果は存在するらしい。実際の心理的効果について調べていると、被験者にグロテスクな動画ファイルを視聴させて発狂させる実験を見つけた。昔のとある国による非人道的な実験らしく、実際に被験者は精神に異常をきたしていた。

 実験記録によると長きに渡る反復性が必要だということだ。一日六時間以上、死体写真と攻撃的な言葉を画面に表示する。それを一か月間にわたり繰り返すというのだ。確かに、狂ってしまうというのも理解できる。

 ただこの実験から考えると、あの三〇秒程度の動画を一度見ただけでは何の意味もないはずだ。ならば、なぜ私の夢には彼女が出てくるのだろうか。まさか本当に呪いの動画だったとでも言うのだろうか。


 私は藁にもすがる思いで、異常事象研究部に足を運んだ。この研究部は、霊的なものや超常現象を科学的・論理的に暴くことを目的とした場所だ。部活を主張しているが、部員は一人だけで顧問もいない。

「それで、杏ちゃん。呪いの動画を見たせいで、毎晩、枕元に幽霊が現れるっていうんだね」

 そう言って、鼻息を荒くしているのは部長の薩摩凪(さつまなぎ)だ。

「ええ、薩摩先輩。呪いなんてありませんよね?」

 すると彼女は、水道から電子ケトルに水を注ぎながら私に返事をする。

「薩摩先輩だなんて堅苦しいな、さーちゃんでいいよ」

 彼女はそう言って急須を手に取り、茶葉を入れながら話を続ける。

「この世には呪いが有るのかもしれないし、無いのかもしれない。ただ、全てを一括りにまとめるのは違うっていうのが私のスタンスなんだ。男とか女とかっていうのはこうだとか、あの人種はこうだとか……個人じゃなくカテゴリーでまとめると、真実からそれちゃうってこと」

 私は彼女の言っている言葉の意味があまり分からず、思考を巡らせていた。彼女は私には目を向けず、そのまま水を入れた電気ケトルにコンセントを繋ぎながら言葉を続ける。

「ええと、私が言いたいのはね。呪いっていうのも、色々な種類があるってこと。だけど、一度見ただけで呪うことができる動画。そういうのは信じがたいな」

 薩摩先輩は、私を茶化すように言った。

「でも、私と同じように被害を訴える人もいるみたいです。細部は異なりますが、女の声とか、呻き声とか……」

 私は掲示板やSNSを見て、私と同じように苦しむ人のコメントを見てきた。もちろん動画を見た全員がそうだとは言えないが、共通しているのは苦しむ女性の呻き声がするというものだ。

「うーん、初めに聞いた時はブラシーボ効果だと思ったんだけどね。実際に効果があると思い込むことで、効果が発現するもの。だから今回のケースも、実際なところは論理が逆ってことを考えたんだ。この動画が呪いの動画って書き込みを見たから、呪いの効果があると思い込んで悪夢を見るとか」

「でも私が悪夢を見始めたのは、この書き込みを見る前ですよ」



「そう、それが不可解なんだよね。とは言っても、この情報だけじゃ、何とも言えないな。とりあえず、その呪いの動画見せてよ」

「はい。でも、私怖くてすぐに閉じちゃったんです。履歴からも消しましたし……でも、SNSからリンクは辿れるかもしれません」

 私は「可愛い動物まとめbot」を開いた。今思えば、このアカウントが憎くてたまらない。私は怒りを抑えながら、例の動画へのリンクが貼られた投稿を開き、薩摩先輩に渡した。

「へー、こういうリンクへの偽装してるんだ。引っかかっちゃうなんて、杏ちゃんも、まだまだネット初心者だね」

 薩摩先輩はそう言って、嬉々として画面をクリックした。

「これ、限定リンクになってるね。どうして、わざわざこんなことしてるんだろう?」

「確かに、本当ですね。気づきませんでした」

 限定リンク。仲間内や編集中の作品を見せるために使用される機能だ。検索には引っかからず、そのリンクを知っている人間のみが閲覧可能な動画になる。多くの人間に見せたい愉快犯であれば、あえてこんなことをする必要は無さそうにも思える。

「まあ、どうでもいいか。それじゃあ、再生するよ」

 そう言うと、薩摩先輩は動画をクリックした。動画が流れたのか、彼女は食い入るように画面を見ている。私は目を閉じ、耳を塞いでいた。

 すると、薩摩先輩は文字通り、飛び上がった。

「わあああ、びっくりした!!! びっくり動画じゃん、びっくり動画。いや、なんで言ってくれなかったの? 」

 彼女は私に詰め寄った。

「す、すみません……!」

 私が頭を下げると、薩摩先輩はケトルから急須へとお湯を注ぐ。茶葉の匂いが部室に立ちこめていく。

「まあ、とりあえずこれで私も杏ちゃんと同じ状況ってわけだね。怪我の功名っていうのかな。びっくりしたことで、脳には刻み込まれたよ」

 そう言ってから、薩摩先輩は私にスマホを返すと、キャスター付の椅子に座り、足で床を蹴ってぐるぐると回転させ始めた。緩やかに動きが止まると、薩摩先輩の真剣な顔つきが視認できた。どうやら、考えをまとめていたようだ。

「気になるのはさ、杏ちゃんが見るのは女の人の悪夢でしょ?  でも、さっきの動画で出てきたのは男の人の顔だったはずだけど」

「そうですね……確かに男性ではなく、女性の声です。SNSの投稿を見ても、他の被害者は同じように女性の声と書かれていますね」

「例えばさ、マンデラ効果って知ってる?」

「いえ、知りません。何ですか、それ?」

「元々は存在しないはずの記憶を、複数の人が共有している現象をさしたスラングだよ。例えば、白雪姫のお妃様が『鏡よ鏡、鏡さん』って言っていたことは覚えてる?」

「ええ、覚えてますけど。それがどう繋がるんですか?」

 私がそう聞くと、薩摩先輩はニヤニヤと笑った。まるで、イタズラが成功して大人の反応を見る子供のようだった。

「実はね、杏ちゃん。童話でも吹き替えでも、お妃様はそんなセリフを一度も言ったことはないはずなんだ。あのお妃様って意地悪でしょ? よく考えたら、鏡に対してそんなに優しく問いかけるわけないじゃない」

 確かにそうかもしれないが、私の記憶はそれを否定している。

「いや、でも私、実際に言ってたと思うんですけど」



 私の記憶には、間違いなくお妃様が鏡に向かってそのセリフを言っていた記憶がある。

「実はこのセリフを実際に言ったのは、幼児向けの番組のお姉さんが手鏡に話しかけるシーンで、それが実際の白雪姫のお妃さまのセリフと混同されたみたいなんだ」

「そんな番組見たことはないですし……薩摩先輩、私をからかってないですか?」

 私がそう言うと、薩摩先輩はもう一度考えた。

「完全に否定はできないけどね。実際に、間違って覚えた二次創作やブログを見れば、そのセリフがお妃様の台詞として書かれているかもしれないし。誤解は連鎖することもある。だけど、オリジナルには存在しないのは本当だよ」

 私は今でも信じられず、後で見返そうと配信サイトを調べた。

「ともかく私が言いたいのはね。重要なのは混同させる要素が必要だということ。幼児番組のお姉さんのセリフが、お妃様のセリフと勘違いされたようにね。だけど、この動画のどこにもそのきっかけは見つからないってこと。この動画には、女性を連想させる要素は無い」

 薩摩先輩は、そのまま話を続ける。

「それに、この動画で連想されるなら呻き声じゃなくて叫び声だよね。それもどこか違和感があるんだよね」

 答えが出ないのか、どこか気難しそうな表情になった。

「とりあえず、動画を見たし、これで私も呪われるのかな?」

 薩摩先輩はそう言って、笑みを浮かべた。まるで遊園地に行くことが決まった子供のワクワクした表情のようだった。結局、その日は解散した。


 翌日、私は再び部室を訪れた。

「それで、どうでした? 薩摩先輩もあの夢を見ました?」

 私が問いかけると、薩摩先輩は大きく首を横に振った。

「楽しみに待ってたんだけどな〜、でも駄目だったよ」

「楽しみって……私、寝れてないんですよ」

「謎は深まるばかりだね。とりあえず、あの動画もう一度見せてもらっていいかな」

 私はスマホで画面を開き、SNSからあの投稿の画面を表示し、薩摩先輩に手渡した。先輩は動画の再生画面にいったものの、画面をスワイプしている。

「先輩、ちょっと! 見られたら恥ずかしいものもあるんで、あんまり見ないでください。っていうか、勝手に人のスマホ弄るのって、マナー違反ですよ」

「その恥ずかしいものっていうのも気になるけどさ。それよりも、気づいたことがあったんだよね」



 そう言って、薩摩先輩は私に画面を見せた。例の呪いの動画かと思い、一瞬目を伏せるが、そこにあったのはいつも聞いている睡眠用のBGMの動画だった。

「これ、もしかして見た?」


 彼女はそう言って、私のスマホを指差した。


【小鳥のさえずる森の睡眠用BGM】


「ええ、最近眠れないので、適当にクリックしたんだと思います」

 シークバーは三時間十分を少し過ぎたところで止まっている。おそらく最初の十分で寝落ちして、それから自動で止まったのだろう。充電器に差していたおかげで弊害はなかったけど。

「これがどうしたんですか?」

「杏ちゃん、まだ気づかない?」



「何ですか?」



「これ、『呪いの動画』と同じ投稿者だよ」



「え?」



 私は投稿者に目を向ける。
 確かに、同じだ。どうして気づかなかったのだろう。
 突然の情報に、この事が何を示しているのか考えがまとまらなかった。



「これ、私にも聞かせて」



「ええ、分かりました!」



 そうして、私は動画を始めから再生した。薩摩先輩は、今までになく真剣な顔で耳を澄ませている。

 十五分を過ぎた頃だろうか、薩摩先輩は急に手を挙げた。



「今のところ、巻き戻してもらっていいかな」



「え? は、はい」



 私は薩摩先輩の指示に従い、十秒だけ巻き戻した。初めは違和感には気づかなかった。しかし二回目に聞いた時、森林の音に混じって、微かなノイズが聞こえる。川のせせらぎだと思っていたが、確かに自然音にしては不自然だ。

「この動画サイト、スロー再生ってできるっけ?」



「確か、十分の一までならできるかと……」



 私は再び巻き戻すと、十分の一の速度で再生した。スローにしてみると、段々と微かなノイズが明らかにせせらぎの音ではないことに気づく。

 これは、人の声だ。ぶつぶつと何かを話している。言葉は聞き取れないが、女性の声であることは分かる。

「音声編集ソフトがあるから、こっちでもっとスローにしてみよう」



 薩摩先輩は動画をダウンロードすると、音声編集ソフトで開いた。
 五十分の一のスピードで再生すると、スピーカーから「声」がした。
 女性の、呻き声、だった。



「ぐるしい、ころして、ころして。ゆるして。ころすなら、はやくころして」




 それは夢で何度も聞いた、あの声だった。



 そしてこれは、この時点から動画の終了時まで、ループ再生されている。私は愕然としたまま、胃の中のものを吐き出したくなるような感情に襲われた。こんなものを、聞いていたのだろうか。

 それも、ベッドに入って、リラックスして、無防備な状態で。
 こんなものを。しかし、こんな偶然あるのだろうか。

「多分さ、同じ投稿者だからおすすめ動画を表示するサジェストに上がったんだよ。投稿者のページに飛んでも、最初のびっくり動画は限定リンクだから表示されない。インパクトが強いと、驚いてすぐに閉じちゃうでしょ。多分、それも狙って作られてる。動画自体を開いたことはサイトのアルゴリズムに残ってるから、関連動画のところにこのBGMが表示されるようになる」


 薩摩先輩は、画面を見ながら言葉を続ける。



「不安なときには、こういうBGMに頼りたくなるからね。そういう心理的な隙間も狙ってるよ、これ。この人の投稿作品、みんなこの女の人の声が入ってるよ。ほら、見てみて」


【ゆったりできる春の陽気なJazz】【さざ波と夕日の空間BGM】


動画の中のシークバーのうち数個は、途中で止まっていた。それはつまり、私がおそらく気づかないうちに再生していたことを意味していた。通学中、休憩中、そして就寝中。私は聞いていたのだ。



「多分、普通に聞いているだけなら気づかないと思う。だけど長時間聴いてリラックスしている状態なら、人によっては無意識下で脳に認識される。しかも、毎日反復されるなら尚更ね」

私は心理的効果の実験を思い出した。呪いに必要なのは対象者に同じ行動を繰り返し取らせること、または、長時間にわたり接触すること。私を呪っていたのは、あの動画じゃない。毎日就寝時に聞いていたこのBGMだったんだ。


ずっとちかくで、よろしくね




あの言葉は、このことを予期していたのだろう。「呪いの動画」はただのきっかけだ。




「ずっとちかく」で、このBGM達を聞かせるための。




 私は投稿者をブロックし、動画配信サイトを閉じた。



 悪夢はあれから少しの間続いたが、1週間を過ぎた頃には見なくなっていた。私はあれからBGMを聞くのを避けている。しかし街で流れるBGMを聞くたびに、思ってしまう。スロー再生をしたら、あの女の声が入っているんじゃないかって。



 それから間も無くして、私は異常事象研究部を訪れた。

 薩摩先輩にお礼をするためだ。



「やっほー、杏ちゃん。あれから元気にしてる?」




「おかげさまで、あの夢は見なくなりました」




「本当にありがとうございました、薩摩先輩。私に何かお手伝いできることがあれば、お礼させてください」




 私がそういうと薩摩先輩は後ろを向いてしばらく悩んでいたが、こちらを振り向くと悪戯げに微笑んだ。




「そういえば、杏ちゃん。異常事象研究部は、部員を募集しています」




 そう言って、薩摩先輩は私の前に入部届けを置いたのだった。

Categories: shortstory

0 Comments

コメントを残す

Avatar placeholder

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です